2018-11-30
GT-Rとカルロス・ゴーン。R35を誕生させた経緯を振り返る。
2018年が終わろうとしているいま、連日ニュースサイトの見出しには「カルロス・ゴーン」の名前を見ない日はありませんね。僕らクルマ好きにはとても馴染みのある名前で複雑な心境です。
各ニュースによると11月19日、東京地検特捜部によって金融商品取引法違反の容疑で逮捕されたとなっています。有価証券報告書に自身の報酬を過少に記載していたのが理由だそうです。要するに「ウチの会社こんな仕事でこれだけ稼いでますよ」なんていう報告書に嘘があったってことなんですね。嘘の報告書だとその会社の有価証券(株式とかですね)の価値も間違いということになっちゃって、投資者が困っちゃうわけです。だからやっちゃダメ。
そしてその嘘というのが2011年から2015年までの報酬が約99億9800万円あったのに、約49億8700万円と書いていたというのです。もはやその桁違いの報酬ばかりに目がいってしまい、どれが真実の報道なのかがわかりません。また、いま時点ではカルロス・ゴーン側からの声明がまったく報道されていないので、実際になにが起こっているのかは当事者でなければわからない状態が続いています。
ただ、クルマ好きにとってのカルロス・ゴーンはGT-Rを復活させた人ということに間違いはありません。
約2兆円の負債を返してGT-Rを作っちゃう
カルロス・ゴーンがルノーから日産にやってきたのは1999年です。その当時の日産はなんと約2兆円もの有利子負債を抱えていたのです。要するに借金ですね。しかもその年は6844億円というとんでもない額の赤字経営をしているものだからヤバイなんてものじゃありません。借金を返せるわけがありません。とにかく90年代の日産はほとんどの年が赤字経営だったんです。歴代スカイラインGT-Rやシルビア、180SX、シーマやセドグロなど、素晴らしいクルマを作っている一方で、いつ倒産してもおかしくないような状態だったんですね。
そこでカルロス・ゴーンは「日産リバイバルプラン」と銘打って日産の復活を計画しました。計画の内容は簡単にいうと「黒字化」「営業利益率4.5%以上」「有利子負債を7000億円以下」を2002年度末までに達成させるという。しかもできなかったら経営陣全員辞任するという気合いの入れようです。たった3年でそんなことできるの?と半信半疑な計画ですが、カルロス・ゴーンはグングン前倒しであっという間に達成しちゃったんですね。しかも2003年には借金を全部返しちゃってます。そこには素晴らしい経営手腕があったとは思いますが、リストラなどの犠牲になった部分も多かったことでしょう。
日産180によってGT-Rが復活
「日産180」とは180SXのことではありません。2002年にカルロス・ゴーンが打ち出した中長期計画の名称です。「日産リバイバルプラン」がうまくいったのでさらに復活する新しい計画を立てたんですね。180の1は2004年度末までに出荷台数を100万台増やす。連結売上高営業利益を8%にする。有利子負債を0にする。なので180というわけです。カルロス・ゴーン以前の日産とはその名の通り180度変わって、めちゃくちゃ優良企業にしてしまおうという計画なんです。そして結果、またもやすべて前倒しで達成して、日産は完全に生まれ変わりました。
そんなイケイケなカルロス・ゴーンは、「日産リバイバルプラン」の途中で生産中止にしていたスカイラインGT-Rを「GT-R」として復活させることを宣言しました。それが2005年の東京モーターショーで公開された「GT-R PROTO」です。それは往年の日産ファンやGT-Rファンを喜ばせるだけではなく、GT-Rが日本から世界に飛び出すことを意味していました。
もちろんビジネスとしてGT-Rが必要だったとは思いますが、それだけではなくカルロス・ゴーンが大のクルマ好きだったから復活させたという説もあります。本当か嘘かGT-Rを作るためにポルシェを乗りまわして事故をおこしたなんて有名な話です。
有言実行・2007年にGT-R登場
東京モーターショーに出展されてもコンセプトモデルで終わって市販されないなんてことはよくある話ですよね。GT-Rに関してはしっかりと公約していたこともあって、2年後の2007年に市販モデルが登場しました。これまでも有言実行を繰り返していたカルロス・ゴーンだからこそ復活できたのかもしれませんね。
この先GT-Rは、日産はどこに向かう
はたしてカルロス・ゴーンが来る前の日産の経営状態からR34 GT-Rの後継車種は作れたでしょうか。R35 GT-Rはカルロス・ゴーンなくしては誕生しなかったのではないでしょうか。GT-Rは日本が世界に誇る最高の1台です。GT-Rにはこれからも世界中のクルマ好きを楽しませるために走り続けてもらいたいですね。